日本人に流暢英語は話せるのか?
2001年5月11日皆さんは、カラオケで採点システムを試した事はありますか?
どんなに歌手本人の様に歌っても「45点」とでてしまう事がある。
しかし、一言一句もらさず、マイクに向かって大きく発声して
「100点」を取るのというコツがあるという。
やはり、基本はカラオケで100点取るのと同じ????
個人的見解だが、きっとそうに違いない。
そう、人間基礎が大事なのだ!!!
いや、申し訳ない。しかし、今日はその点を話したい。
事の発端は、俺が取った一本の電話から始まった…
LLLLLL・・・・LLL…(電話が鳴る音)…がちゃ
「スイマセン。どんなに流暢に話しても、冗談半分で試した
日本語英語の方が評価が良い。というのはどういう事ですか?」
という、なんとも説明しがたい電話だった。
そりゃ、コッチが聞きて―よ、などと言う事は禁句である。
ココは一つ下手に出て、詳しく聞いて見る―――
どうやら、流暢に話しても評価が悪い為に
「ここは、日本語英語でやってみたら?」というお母さんの
一言が引き金だった。
確かに、英語の教材。
しかも、発音をベースに上達させる、とういうのが"売り"の商品だ。
疑問に思っても仕方が無い。
しかし、考えてみよう。
相手は、小4〜中1の子供。最近のお子様が、どのぐらいの英語が話せるのか?
という事も不明ではあるが、世の中皆が、流暢な英語を話せるはずは無い…
お客様の言う「流暢」な英語も、失礼ながら昨日のハーフの方と比べたら、
如何なものか?と疑問もでる。つまり、「個人差」というものが
必ずしも出てきてしまうというのは、必然では無いだろうか?
世間じゃ、日本語英語しか話せない人だって五万といるだろう。
その点で第1巻は、最低レベルである、日本語英語にもし基準を引いていたら…
教材だって、所詮は人間の作ったデータ―の集合体。
おまけに、方言同様に英語にだって方言がある。
そんなもん全てに対応していたら、かなり素晴らしい教材だ!!!
ちなみに、さっきも書いた通り、現時点では第1巻。
「基礎中の基礎」を学ぶ大事な巻である。
むしろ、第1巻から「流暢」を求める方が間違いではないか?と思うのである。
なぜなら――例えばである、習字とアルファベット。
習字は、まずはじめに、普通の字である「楷書」を基礎として数年学ぶ。
そして、級が上がって行き、ある一定のレベルまで達すると
今度は字を崩した「行書」というものを学ぶのだ。
次にアルファベット…こっちの方が判りやすいが、誰でもまず、
綺麗に丁寧に英語練習帳の線に沿って「ゴシック体」のアルファベットを
嫌と言うほど何度も書いた記憶があるだろう。その後、アルファベットもなんなく
使いこなせるようになった時,ヘビのように繋げる「筆記体」を学ぶはずである。
ソレに、俺の時代だと「ゴシック体」のみで「筆記体」を習っていない人もいた…
とどのつまり、
「この字が、本来一体どんな形か…どんな意味を持つものなのか?」と
理解した上で字を崩す、というのが恐らく文字世界における鉄則?であると思う
この事は、散々話している「発音」にも適応されるのでは無いだろうか?
「この発音は、どう発音し?どう、強弱をつけるのか?どこにアクセントを付けるのか?」
例えに今、「TuneRight」や「Big」や「Young」の短い単語の発音だけでも
基礎を固めた上で、発音しなくては意味が無い。
その事を十二分に把握した上で、本当の発音を崩す「流暢」を学ぶのが
遠回りだが、確実な道であろう。
しかし、お客様にはそんな事を伝える余裕も時間も無い…というか
そんな事をクドクド説いても、無意味な気がした。よって
「お手本の発音により近い発音で、イントネーションや発音の強弱
アクセントなどを(大袈裟にでもとって)強調して話してみてはいかがか?」
と案内。しかし、母上様は
「今は、単語みたいな物だしぃ、イントネーションなんて…
このまま、日本語英語でやるのは…」
と食い掛かってくる。 なら辞めろ・・・・とも、言えない。あたり前だ。負けられない。
「今は、第1巻ですので、今後日本語英語でのはなく
徐々に発音の段階も上がります。ですので、発声も困難に
というよりは、お客様のおっしゃる流暢なより一層発音を求めるはずです。
ですから、決して日本語英語などにはなりません。
それに、例え単語単語とは言え、外国人の方に話した際に
イントネーション、アクセントがなかったら通じません。
それどころか、『この人は、感情がこもって無いな』と思われるのは必然です。」
私的に、留学で苦い重いでもあるので、遂力がはいる。
なんとか、お客様は引いてくれたが、俺の心が引いてくれない。
説明が自分でもわかりずらくて、申し訳ないからだ…
焦って近道ばっかりしていたら、きっとどっかで「こける」のがオチ…
石橋を叩いて渡る…それは、知識、職業においても同じである。
と、俺は思うのだが…
我人生を比較して考えるとなんとも、説得力が無い…
どんなに歌手本人の様に歌っても「45点」とでてしまう事がある。
しかし、一言一句もらさず、マイクに向かって大きく発声して
「100点」を取るのというコツがあるという。
やはり、基本はカラオケで100点取るのと同じ????
個人的見解だが、きっとそうに違いない。
そう、人間基礎が大事なのだ!!!
いや、申し訳ない。しかし、今日はその点を話したい。
事の発端は、俺が取った一本の電話から始まった…
LLLLLL・・・・LLL…(電話が鳴る音)…がちゃ
「スイマセン。どんなに流暢に話しても、冗談半分で試した
日本語英語の方が評価が良い。というのはどういう事ですか?」
という、なんとも説明しがたい電話だった。
そりゃ、コッチが聞きて―よ、などと言う事は禁句である。
ココは一つ下手に出て、詳しく聞いて見る―――
どうやら、流暢に話しても評価が悪い為に
「ここは、日本語英語でやってみたら?」というお母さんの
一言が引き金だった。
確かに、英語の教材。
しかも、発音をベースに上達させる、とういうのが"売り"の商品だ。
疑問に思っても仕方が無い。
しかし、考えてみよう。
相手は、小4〜中1の子供。最近のお子様が、どのぐらいの英語が話せるのか?
という事も不明ではあるが、世の中皆が、流暢な英語を話せるはずは無い…
お客様の言う「流暢」な英語も、失礼ながら昨日のハーフの方と比べたら、
如何なものか?と疑問もでる。つまり、「個人差」というものが
必ずしも出てきてしまうというのは、必然では無いだろうか?
世間じゃ、日本語英語しか話せない人だって五万といるだろう。
その点で第1巻は、最低レベルである、日本語英語にもし基準を引いていたら…
教材だって、所詮は人間の作ったデータ―の集合体。
おまけに、方言同様に英語にだって方言がある。
そんなもん全てに対応していたら、かなり素晴らしい教材だ!!!
ちなみに、さっきも書いた通り、現時点では第1巻。
「基礎中の基礎」を学ぶ大事な巻である。
むしろ、第1巻から「流暢」を求める方が間違いではないか?と思うのである。
なぜなら――例えばである、習字とアルファベット。
習字は、まずはじめに、普通の字である「楷書」を基礎として数年学ぶ。
そして、級が上がって行き、ある一定のレベルまで達すると
今度は字を崩した「行書」というものを学ぶのだ。
次にアルファベット…こっちの方が判りやすいが、誰でもまず、
綺麗に丁寧に英語練習帳の線に沿って「ゴシック体」のアルファベットを
嫌と言うほど何度も書いた記憶があるだろう。その後、アルファベットもなんなく
使いこなせるようになった時,ヘビのように繋げる「筆記体」を学ぶはずである。
ソレに、俺の時代だと「ゴシック体」のみで「筆記体」を習っていない人もいた…
とどのつまり、
「この字が、本来一体どんな形か…どんな意味を持つものなのか?」と
理解した上で字を崩す、というのが恐らく文字世界における鉄則?であると思う
この事は、散々話している「発音」にも適応されるのでは無いだろうか?
「この発音は、どう発音し?どう、強弱をつけるのか?どこにアクセントを付けるのか?」
例えに今、「TuneRight」や「Big」や「Young」の短い単語の発音だけでも
基礎を固めた上で、発音しなくては意味が無い。
その事を十二分に把握した上で、本当の発音を崩す「流暢」を学ぶのが
遠回りだが、確実な道であろう。
しかし、お客様にはそんな事を伝える余裕も時間も無い…というか
そんな事をクドクド説いても、無意味な気がした。よって
「お手本の発音により近い発音で、イントネーションや発音の強弱
アクセントなどを(大袈裟にでもとって)強調して話してみてはいかがか?」
と案内。しかし、母上様は
「今は、単語みたいな物だしぃ、イントネーションなんて…
このまま、日本語英語でやるのは…」
と食い掛かってくる。 なら辞めろ・・・・とも、言えない。あたり前だ。負けられない。
「今は、第1巻ですので、今後日本語英語でのはなく
徐々に発音の段階も上がります。ですので、発声も困難に
というよりは、お客様のおっしゃる流暢なより一層発音を求めるはずです。
ですから、決して日本語英語などにはなりません。
それに、例え単語単語とは言え、外国人の方に話した際に
イントネーション、アクセントがなかったら通じません。
それどころか、『この人は、感情がこもって無いな』と思われるのは必然です。」
私的に、留学で苦い重いでもあるので、遂力がはいる。
なんとか、お客様は引いてくれたが、俺の心が引いてくれない。
説明が自分でもわかりずらくて、申し訳ないからだ…
焦って近道ばっかりしていたら、きっとどっかで「こける」のがオチ…
石橋を叩いて渡る…それは、知識、職業においても同じである。
と、俺は思うのだが…
我人生を比較して考えるとなんとも、説得力が無い…
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